骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2016-12-20 09:45


盲人マッサージ院の苛烈な愛『ブラインド・マッサージ』ロウ・イエ監督が“見えないもの”を描いた理由

「目が見えない世界というのは、暗喩(メタファー)の世界なんかよりも奥が深い」
盲人マッサージ院の苛烈な愛『ブラインド・マッサージ』ロウ・イエ監督が“見えないもの”を描いた理由
映画『ブラインド・マッサージ』より

中国のロウ・イエ監督が、盲人マッサージ院を舞台に苛烈な愛を描いた新作『ブラインド・マッサージ』が、2017年1月14日(土)より公開。webDICEでは、ロウ・イエ監督のインタビューを掲載する。

今回のインタビューでは、中国で20万部のベストセラー小説となったビー・フェイユィによる小説『推拿(すいな)』を、ロウ・イエ作品の常連であるチン・ハオやグオ・シャオトンといった俳優と目の不自由な役者とともに映画化することを決めた理由、そしてインディペンデントで活動を続けるロウ・イエ監督から見た中国映画界の状況が語られている。

盲人の感覚を味わうために、
映画館で目を閉じて映画を聞いてみた

──2009年の『スプリング・フィーバー』以来、南京で撮影した2本目の作品ですね。

『パリ、ただよう花』の舞台はパリですが、「パリ」という都市には、旅行者が行く「美しい花のパリ」というイメージがあると思いますが、原作のリウ・ジエが書いた小説には日常の生活がありました。原作ではパリの割と中心地区、4区と6区が舞台でしたが、映画では登場人物の存在をリアルに感じられるようにするため、移民の多い18区を選びました。

映画『ブラインド・マッサージ』ロウ・イエ監督
映画『ブラインド・マッサージ』ロウ・イエ監督

『二重生活』は武漢が舞台です。武漢は歴史も社会構成も違う中規模の3つの都市から成り立っているメガロポリスで、統一感がなく、中国全体の象徴的な都市だと思ったからです。また長江が流れているのもポイントでした。映画の重要な要素である「雨」「水」を感じられるからです。

『ブラインド・マッサージ』では再び南京を舞台に選びました。私は南京が好きなんです。上海よりも、ごく自然な感じがするし。まあ、上海でも同じなんですけどね。南京は、どこか街に深みがあって、非常に魅力的です。時代に流されていない感じで。

──目の不自由な役者と映画の関係について、何かしらリサーチはされましたか?また、盲人の世界を視覚的に描くというのは、いかがでしたか?

そうですね。たとえば、盲人の感覚を味わうために、映画館で目を閉じて映画を聞いてみたんです。この映画は目の不自由な人の世界を描いた作品なので、視覚的な面に、かなりの制限を加えました。とは言っても、一般の人が見るように作っているわけですから、極めて最初の時点から、矛盾を抱えながら作っていたんです。撮影中、健常者の俳優たちには不透明のコンタクトレンズを付けてもらって、見えない状態で撮影に挑んでもらっていたので、助監督たちが彼らを立ち位置まで案内しなければなりませんでした。

映画『ブラインド・マッサージ』より
映画『ブラインド・マッサージ』より 盲人マッサージ師シャー・フーミン役のチン・ハオ

例えば、シャー・フーミン役に扮したチン・ハオや、シャオマー役に扮したホアン・シュエンなどがそうです。ワン役に扮したグオ・シャオトンは、目を閉じて触覚だけの状態になってもらいました。でもその間、盲人の俳優たちがいつも助けてくれました。チン・ハオも「80日にもわたる撮影期間であの演技を続けられたのも目の不自由な出演者が一緒だったから」と言っていました。

映画『ブラインド・マッサージ』より
映画『ブラインド・マッサージ』より シャオマー役のホアン・シュエン
映画『ブラインド・マッサージ』
映画『ブラインド・マッサージ』より シャーの同級生ワン役のグオ・シャオトン(左)と恋人のコン役のチャン・レイ(右)

たしかに、盲人の俳優が加わったことで、普段の撮影より、はるかに時間がかかりました。例えばセットやロケ地で、撮影の前に2、3日使って、目の不自由な俳優たちにその現場や、あらゆる小道具に慣れてもらわなければならなかった。助監督のガイドのもと、カップやテーブルや椅子の場所についても慣れてもらいました。それが出来て初めて、撮影の準備に入れるわけです。ドリーのレールも照明用のケーブルも、つまずく可能性を避けるために、セットに這わすことができない。一度、小道具を置いたら動かせない。そうじゃないと盲目の俳優たちが頭の中で覚えている場所から引き出し、辿り着けなくなりますからね。目の不自由な人間の視覚的な物語を作ろうと、そんなことを思いついた時点でもうドキドキでした。

映画『ブラインド・マッサージ』より
映画『ブラインド・マッサージ』より

素直に何が起こったかを描きたかった

──映画は冒頭から、ヨハン・ヨハンソンの音楽の効果もあり、シンプルでドラマチックな雰囲気になっていますね。

どちらかというと私は素直に何が起こったかを描きたかったんです。「目に見えない映画」を作ること自体が、皮肉だと思いましたからね。そういう観点からすれば、原作に似ているかもしれません。それに音楽もすごくシンプルで、ストレートです。ただし撮影にはすごくこだわりました。撮影監督のツォン・ジエンとは、かなり前から一緒に映画を撮っています。『パープル・バタフライ』(2003)ではスチール・カメラマンを、『天安門、恋人たち』(2006)では編集を担当してもらい、『スプリング・フィーバー』(2009) では撮影監督をお願いしました。彼は私の映画のことをよく分かってくれてとても信頼しています。

映画『ブラインド・マッサージ』より
映画『ブラインド・マッサージ』より

──ヴィジュアルとタイトルを見た観客は、プロの仕事をしている寡黙で優しい人たちの映画を期待するんじゃないかと思いますが……。

観客は一連のシーンを自分の好きなように解釈すればいいと思います。盲目の状態というのは単に目が見えない人のことを指すわけではないんです。この作品は目の見える人間のために作ったんですから。現実の世界とのかかわりを暗喩(メタファー)として描いた作品だと言われることがありますが、目が見えない世界というのは、暗喩(メタファー)の世界なんかよりも奥が深くて、すごい世界ですよ。

映画『ブラインド・マッサージ』より
映画『ブラインド・マッサージ』より

観客の方が映画ビジネスを分かっている

──“ぼかす”という視覚的なテクニックを使って、ユニークでリアルな盲目の世界を表現されていますね。

私はどの映画の編集にも長い時間をかけて、たくさんのヴァージョンを作ります。それが検閲問題への対策と聞かれることがあるけど、それが私のやり方で、検閲とは全く無関係です。『ブラインド・マッサージ』では“ぼかす”という視覚的なテクニックを使って、リアルな盲目の世界を表現しました。とはいえ、こういったテクニックは、不利になる可能性もありました。『天安門、恋人たち』(2006年)の時、中国当局は上映禁止にするために「音も映像も質が悪い」という言い訳を言いましたから。

ただ、皮肉にも、今作では観客には映像も音声もはっきりと見えたり聞こえたりしませんが、検閲申請や当局の許可はスムーズにいきました。『天安門、恋人たち』に対する、いわゆる技術的な基準というものは、イデオロギーの面での検閲だったことがはっきりと分かりました。あれは、単なる口実だったということが。今回で言えば、中国での上映に際しカットしたのは、ごくわずかです。1つは、切り傷ができた後、メインのキャラクターの首から血が吹き出るシーン。それから2組のカップルのセックスシーンを、少し刈り込んで編集しました。

映画『ブラインド・マッサージ』
映画『ブラインド・マッサージ』より、シャオマー役のホアン・シュエン(右)、ドゥ・ホン役のメイ・テイ(左」

──中国での映画の興行成績が激増していることは、インディペンデントなあなたの制作会社にとって何か影響はありますか?

明らかに影響はあります。みんなが興行成績のことを話題にしていますから。まだ初期の段階である中国の映画産業にとって、それが悪いことだとは思っていません。それどころか、うちのスタッフの多くは商業映画出身ですからね。そう考えてみると、インディペンデントの映画制作というのは、盲人マッサージ院と同じようなものかもしれませんね。お金を稼ぐことに疲れた人間が、ひと休みできる場所なんですよ。

──中国でのアート系映画のマーケットの状況については、どのように考えていますか?

一般論で言えば、中国はアート系映画のマーケットとして、良いとは言えません。でも、それはごく普通のことだと思っています。マーケットは揺れ動くものであると思っていますが、現実として、中国の映画館の館主は、アート系の映画から利益を上げられないんです。というのも、アート系の映画ビジネスのノウハウが分かっていないんです。映画館の館主よりも、観客の方が映画ビジネスを分かっているように思います。

(オフィシャル・インタビューより)



ロウ・イエ プロフィール

1965年生まれ。1994年『デッド・エンド/最後の恋人』で監督デビュー。2000年、『ふたりの人魚』は当局の許可なしにロッテルダム国際映画祭に出品したため中国では上映禁止となった。20 03年チャン・ツィーを主演に1930年代の中国と日本の間の対立を描いた『パープル・バタフライ』は、カンヌ国際映画祭の公式コンペティション部門に選出。2006年、天安門事件にまつわる出来事を扱った『天安門、恋人たち』はカンヌ国際映画祭で上映された結果、再び5年間の映画製作・上映禁止処分となる。禁止処分の最中、検閲を避けるためフランスと香港合作で作られた『スプリング・フィーバー』は2009年カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。その2年後タハール・ラヒム主演で『パリ、ただよう花』をフランスで撮影。2012年、カンヌ国際映画祭“ある視点部門”オープニング作品に選ばれた『二重生活』は、映画制作禁止後に、ロウ・イエが公式に復活を果たした作品。2013年、南京で『ブラインド・マッサージ』の撮影を開始。本作はベルリン国際映画祭にコンペティション部門に選出され、台湾のアカデミー賞金馬奨で作品賞を含む6冠を受賞。総計19賞、15部門ノミネートに輝く。




映画『ブラインド・マッサージ』より

映画『ブラインド・マッサージ』
2017年1月14日(土)よりアップリンク渋谷、
新宿 K's cinemaほか全国順次公開

本作は、2014年、第64回ベルリン国際映画祭銀熊賞のほか、台湾のアカデミー賞・第51回金馬奨で作品賞を含む6冠、アジア全域版のアカデミー賞とも言われる第9回アジア・フィルム・アワードで作品賞と撮影賞など、数多くの賞を受賞。視覚障害者の視点を体感するような映像と、生きることの希望と絶望を凝視し、人間の本能をえぐる衝撃的な物語は、世界中から絶賛の声が寄せられている。

南京のマッサージ院。ここでは多くの盲人が働いている。幼い頃に交通事故で視力を失い、「いつか回復する」と言われ続けた若手のシャオマー、結婚を夢見て見合いを繰り返す院長のシャー、客から「美人すぎる」と評判の新人ドゥ・ホン。ある日、マッサージ院にシャーを頼って同級生のワンが恋人のコンと駆け落ち同然で転がり込んできたことで、それまでの平穏な日常が一転、マッサージ院に緊張が走る――。

監督:ロウ・イエ
脚本:マー・インリー
撮影:ツォン・ジエン
原作:ビー・フェイユイ著『ブラインド・マッサージ』(飯塚容訳/白水社刊)
編集:コン・ジンレイ、ジュー・リン
出演:ホアン・シュエン、チン・ハオ、グオ・シャオトン、メイ・ティンほか
配給・宣伝:アップリンク
2014年/中国、フランス/115分/中国語/カラー/1:1.85/DCP
原題:推拿
日本語字幕:樋口裕子

公式サイト


▼映画『ブラインド・マッサージ』予告編

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